18年振り
私が子供の頃に患った、場面緘黙症は個人個人によって千差万別です。話せない場面がそれぞれ違います。
家では普通に話せる、或いはうるさい程なのに幼稚園や学校で話せないというのが一番ポピュラーです。「初めての集団生活」というのがポイントになると思います。
私の場合は変わっていて、先生に名前を呼ばれたら返事は出来るし、本読みも出来ました。ただ、その声は自分の声ではないように聞こえました。発話に必要な声帯などの筋肉が緊張していたんでしょうね。それ以外の同級生との会話などは出来ず、首を振る事で何とかコミュニケーションを取っていました。
中には特定の兄弟と話せないとか、祖父母や親戚と話せないケースもあります。
私も親戚は苦手で話せない事はないですが、未だに苦手意識があります。
そんな親戚と先日、実に18年振りに会話をしました。父の見舞いに叔父(母の弟)夫婦が来てくれました。義兄(姉のご主人)の葬儀以来です。
それ以降は特に冠婚葬祭もなく、年始の挨拶などは苦手意識から私は逃げていてこんな長期間のご無沙汰になってしまいました。この叔父夫婦は子供がいないせいか、子供の頃、私は色々とかわいがって頂きました。
義兄の葬儀の際には苦い思い出が・・・叔父から厳しいお叱りを受けました。子供の頃の優しい印象が強かったので結構ショックでした。
「カツクロ、結婚はどうした?」「まだ・・・」「しっかりしなきゃ駄目だよ!早くお父さんを安心させてあげなきゃ!」 厳しい口調でした。
それから18年・・・
会話と言っても、「ご無沙汰してます!」「今日は色々ありがとうございます!」それ以外は叔父夫婦の質問に答えたり、相槌を打っただけでした。
初級英会話のフレーズかよ!
「三つ子の魂百までも」ですね。
まだ緘黙の呪縛が完全に解けないようです。何の因果なのか?変なもの背負って生まれて来てしまいました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。