いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

やるせない

先日、「筆談で事情聴取」というニュースがありました。それだけで何となく状況は理解出来ました。聾唖者なら聾唖者と書くでしょう。


母親の遺体を自宅に放置した疑いで49歳の男性が逮捕されました。病死らしく、母親の死に関しては事件性はないようです。


約40年間、引きこもりの状態で「他人とほとんど会話出来ず、取り調べは筆談で行われている」そうです。


母親の顔にはタオルが掛けてあったそうです。出来る事はそれくらいだったのでしょう。母の死を誰かに伝える事が出来ずに・・・


場面緘黙症だった私には身につまされる話です。実際に子供の頃からの緘黙症をそのまま大人になっても持ち越してしまい、引きこもっていたり、仕事に就けない人もたくさんいます。


「人と話すのが怖い」そう供述しているそうです。


この男性が場面緘黙症かどうか判りませんが、可能性は高いように思います。


学校も、行政も何もしてくれなかったんですね。或いは、母親が世間体を考えて行動に出なかったのかも知れませんが・・・年齢からするとそういう時代だったとも言えます。私も何の支援も受けてません。紙一重なんですね。他人事ではありません。


本人が一番苦しかったと思います。もちろん、母親も苦しかったでしょう。この男性を残してあの世に逝く事はどんなに心残りだったで事しょうか。


今回の記事に対してネット上では、コミ障だの、発達障害だの、知的障害だの、口さがない人たちが好き勝手に書いてます。ところが場面緘黙症はどこにも出てきません。どれたけ世間の認知が少ないのでしょう。


私が場面緘黙症になったのは、前回の東京オリンピックの年です。実に半世紀もの歳月が過ぎ去って行きました。


最近では、テレビで何回か取り上げられるようになり、療育や支援級などもありますが、未だに教師の無理解、無知で症状を悪化させるケースもあります。場面緘黙症を取り巻く環境はさして変わりありません。


経験者として無力感を禁じ得ません。