いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

場面緘黙症(2)

場面緘黙症と診断された訳ではありません。自己診断です。


もっとも、当時は教師も両親も、その他の人も場面緘黙症なんて誰一人知りませんでした。私自身がなぜ話せないのか聞きたいくらいでした。今でも知らない精神科医もいるくらいです。もっとも、投薬中心の精神科では手も足も出ないでしょう。薬を飲んだからといって突然話し出すなんてあり得ません。心が話す事にロックを掛けているんですから。


学校以外では近所の人に挨拶も出来なかったので礼儀知らずの子、親の躾のなってない子という扱いをされました。6年生では集団登校の班長に指名されたのですが、何も出来ずに一人で登校してました。副班長が代わりにやってくれたのですが、その母親からクレームが入った事もありました。


駄目な自分は充分理解してました。でも、どうしていいか判らないので何も出来ませんでした。


小学校6年間、高校3年間、緘黙が続きました。中学では入学と同時に頻繁に話しかけてくれる同級生のお陰で話せるようになりました。でも、誰も知っている人のいない高校では再び悪夢が繰り返されました。


「キングオブおとなしい」なのでイジメの対象になりやすいのですが、幸いにも私の場合はからかい程度で済みました。他の緘黙症経験者の中には筆舌に尽くし難い、辛い子供時代を送った人がとても多いです。


私は大学に入学した時に大学生活が地獄の4年間にならないように必死の思いで話し掛けて友人を作りました。一日が過ぎ、二日目が過ぎ、三日目くらいに漸く話し掛ける事が出来ました。


大袈裟ですが、人生の転機でした。それ以来、緘黙はありません。ただ、無口でおとなしいのに変わりはありませんけど。