いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

あすなろ

私が「あすなろ」を知ったのは、井上靖の「あすなろ物語」からです。自伝的小説、「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」とは少し趣の変わった自伝的小説です。


元はと言えば、中学3年の時に国語の教師に「しろばんば」を読んで感想文を書けと言われたのがキッカケでした。文句タラタラ言いながら同級生数人と自転車で隣接する市の本屋にまで探しに行ったのが懐かしい思い出です。


最初は嫌々でしたが、読んでみると面白くて、井上靖は私の好きな作家の一人になりました。


「あすなろ」とはヒノキ科の常緑針葉樹で漢字では「翌檜」「明日檜」と書かれるようです。


これは檜に似ているけど檜ではない事から「明日は檜になろう!」という思いを込めて名付けられたようです。


私は中学入学と同時に一時的に緘黙症が治り、友達も出来て、ある程度充実した学校生活を送っていました。それでも自分の心の弱さなど様々な劣等感を持っていた私にとっては「あすなろ」は自分自身を励ます言葉になりました。「明日は・・・明日こそは・・・」


今考えると典型的なモラトリアム人間の私には都合のいい言葉だったんですね。対極が林修先生の「いつやるの?今でしょ!」ですね。


考え方が多少変化して来たのはパニック障害を克服した辺りからです。ある程度、自信めいたものが目覚めて来ていました。


そして、「あすなろは絶対に檜になれない!」に気付きました。当たり前なんですけど。


狭義に捉えると、「A little bit is better than nothing. 」明日じゃなくて、今日、今出来る事をやろう!何もやらないよりはマシ。特に筋トレの時には心掛けています。明日の100より、今日の50です。


広義に捉えると、言葉にすると難しいですけど、「あすなろ」とか、「檜」とか言ってる時点で違ってるんじゃないのか・・・「あるがまま」に通じる部分があります。


気付いてみれば、結局、同じところに行き着くような気がします。それが大袈裟に言えば、「真理」なんだと思います。


色々書いてますが、私はまだまだ発展途上です。試行錯誤の毎日です。錯誤だらけの毎日かも知れません。


間違いなく、途上で人生を終えるでしょう。そんな人生でも充分です。完璧であろうとする呪縛から解き放たれつつあります。加齢のお陰ですね。


長文お読み頂き、ありがとうございます。