いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

『無有恐怖』

『むうくふ』と読みます。般若心経の真ん中辺りに出て来ます。


以前にも書いたように私は宗教、スピリチュアルを信じていません。般若心経を出したからといって、何か宗教的な話ではありませんのでご理解ください。


一つの哲学として、先人の智恵として捉えてます。


この「無有恐怖」、般若心経の解説書をたくさん読みましたが、全ての書が「恐怖が無い」だけで終わってます。高僧、名僧が書いた本もあったのですが・・・


例えば、人前で緊張してしまう人が大勢の人の前で話をしなければならないとします。


その人は「緊張しない!緊張しない!緊張しない!」と緊張しないように唱えます。心理学的にはこれはダメです。なぜなら、わざわざ「緊張」という言葉を3回も心に植え付けてます。


それでは「緊張しない!しない!しない!」ではどうでしょう?先程のよりはだいぶマシですが、まだ「緊張」が一個もあります。一個しか、ではありません。一個「も」です。


頭の中に「緊張」とか「不安」「恐怖」という概念が1ミリも1グラムもない状態が「無有恐怖」です。無緊張とか、無恐怖、無不安というのは、緊張、恐怖、不安がある前提ですから、それらを100%消し去る事は出来ません。


まさに境地です。でも、普通の人は普通にその境地にいます。特別な事ではありません。


パニック障害を経験してない人は電車に乗る事や美容室に行く事、買い物に行く事に「恐怖」がありますか?ありませんよね。そもそも、あるとかないとかではなく、そこには「恐怖」という概念すらありません。


私もこうやってブログを書く時にはパニック障害の事を思い出しますが、普段の生活では頭の片隅にすら、パニック障害はありません。パニック障害を患う前と変わりません。だから、パニック障害に関しては「完治」と言えます。


うつ病に関しては、強いストレスが掛かった時に対処出来るか、100%の自信はありませんが・・・実際、父の余命宣告を聞いた時には暫く鬱々とした気分が続きました。捉え方がまだまだダメなんでしょう。因みに肉親の死がストレスの最上級と言われてます。


森田療法や逆説志向が治療法ではないというのも、治療法と言ってしまうと自ずと「病気」が存在してしまいますから、治療法ではないと表現してます。病気ありき、ではダメなんです。 


ちょっとした頭痛や胃痛は誰でも経験します。その度に脳梗塞では?胃ガンでは?と悩む人は心気症の人だけでしょう。薬を飲む人もいるでしょうが、ほとんどの人は「やり過ごす」はずです。これが「あるがまま」です。


「さあ、あるがままでいよう!」というのは既に不自然ですから、あるがままではありません。意識してやる事ではないんですね。意識しない事なんです。だから難しいんです。


森田博士は意識してしまう事を「計らい」という言葉を使ってます。今流行りの「忖度」(そんたく)に近い意味です。両方とも「他人を慮(おもんぱか)る」事ですけど、神経症の場合は自分を慮ってしまいます。


そして計らい続ければ続けれるほど、そいつは調子に乗ってどんどん強大になっていきます。無視すると、しょんぼりして消えて行きます。


森田療法や逆説志向でなくても認知療法、薬物療法、カウンセリング、場合によっては、空手やヨガでもいいでしょう。入り口はたくさんあるでしょう。でも、出口は「無有恐怖」です。


ちょっとした心のボタンの掛け違いに過ぎません。元々何もないのですから。元に戻るだけです。