いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

なんじゃそれ!

父が亡くなり、約一週間休んでしまったので人事に忌引き休暇について問い合わせると5日間ありますけど無給ですと回答がありました。結局、有給休暇に振り替えました。


意味不明ですね。無給だと休んでもいいですよという意味以上のものはありません。会社の許可の有無に拘わらず、親兄弟が亡くなったら休むに決まってます。


調べてみると法的な定めはないようです。有給か無給かは会社次第という事らしいです。


私は前の会社をろくでもない会社と思いながら27年間勤めて来ましたが、今の会社に入ってから非常識のオンパレードに考えを改めざるを得ませんでした。前の会社は極めて常識的な会社だったんですね。収入も2倍ありましたし・・・


人手不足を嘆く前にその原因の一端はそういうところにあるのに全く気付いてません。給料安くて福利厚生がダメ、では・・・

無縁社会

先日、NHKで「無縁社会~無縁死3万2千人の衝撃」という番組をやってました。2010年に放送されたものの再放送です。


タイトルから自殺や行き倒れの身元不明者の事を扱った番組かと思いましたが・・・


身元が判っていても親族がいないとか、いても遺体、遺骨の受け取りを拒否された人を自治体では身元不明者として扱っているという事でした。そういう人が増えているのだとか。


番組では一人の男性の孤独死を追跡調査します。50代の男性Aさん、アパートの部屋で死後1週間ほどで発見されます。テレビも電気も付けっぱなしであぐらをかいたまま、うつ向いた状態で亡くなっていたそうです。


同じアパートの住民曰く、「ほとんど話した事はない。ここのアパートでは近所付き合いはないよ」この方も高齢者でした。


Aさんは、地元の会社に勤めるも倒産し上京、給食センターに20年正社員として勤めます。定年退職後は派遣で日雇いの仕事をしていたそうです。


実家は両親も既に亡くなり、家は人手に渡り、区画整理で今は跡形もなくなってました。それでも望郷の念は強かったようです。


社縁というのがあるそうです。会社を辞めた後、社会との繋がりがなくなってしまうのだとか。Aさんも定年退職後は同僚との交流も徐々になくなっていたようです。


私にも経験がありますが、前の会社を辞めて半年くらいはメールや電話がありましたが、そのうち徐々になくなりました。かろうじて年に1回飲み会をやるくらいです。それも一昨年途絶えてしまいました。


ただ、私の場合は緘黙症経験者で孤独癖があるので普通の人の孤独感とは根本的に違うのでそれがすぐに辛さとか、不幸感とかには結び付きませんけど。


もう一つ、取り上げられていたのが生涯独身者の方です。70代の元看護婦のBさん、仕事と母親の介護で結婚どころではなかったそうです。


身寄りのないBさんは、亡くなった後の後始末をしてくれる会社と契約をします。遺品整理から合同墓地への納骨までやってくれるそうです。こういう会社が増えているそうです。


地縁、血縁の絆が希薄になった事への警鐘を鳴らす為の番組なのでしょうが、歯止めは効かないでしょうね。


AさんもBさんも私の近未来の姿そのものです。身につまされます。私が死んだら、今なら姉が引き取るでしょうが、姉がいなければ姪やいとこが引き取るかと問われれば疑問です。それを責める気もありません。私にとっては死んだらどうでもいいのです。墓も葬儀も要りません。この墓とか葬儀とかが遺体や遺骨の引き取り拒否の一因になっているような気がします。


孤独死についても私自身は何の不安も恐怖もありません。元々、独りでオギャーと生まれて来た訳ですから。ただ、遺体の処理などで人に迷惑を掛けるのが心苦しいだけです。


そんな事もあって、父の遺品整理と同時に私の「遺品」整理をしてます。断捨離です。最終的にはミニマリストが理想です。あの世には持っていけないのに人は不要な物を持ちすぎています。

実感

父が亡くなり、早3週間、さすがにまだ病室にいるような感覚はなくなりましたが・・・


もともと父とは一緒に住んでいながらほとんど会話がありませんでした。仲違いをしていた訳ではなく、単に私の孤独癖のせいです。


いつの頃か、食事も別でした。いわゆる個食ですね。きっかけはよく覚えてます。父は掃除とか、整理整頓に無頓着で一緒に食事をしていた部屋がちらかっていたので自分の部屋で食べるようになりました。


そのうちに父の炊くご飯がだんだん柔らかくなり、私にとってはお粥のように感じられ、レンジでチンのパックライスに変えました。いちいち何をチンしてるかなんて確認しないですから、父は私がお米を全然食べないと勘違いして、姉に相談していたそうです。


その手の誤解はたくさんありました。父は私の事を何も知らずに逝きました。残念ながら「言葉」がないと伝わらないものです。


「言葉がない」=「場面緘黙症」そんな人生を歩んできた私の人生の宿命かも知れません。


そんな親子関係だからこそのメリットもあります。父のいない今の生活、父のいた時とほとんど変わりありません。仕事から帰って、自室に籠り、食事をしたり、テレビを見たり・・・


父が出掛けている状態とほとんど変わりありません。だから、密な親子関係にあった人よりも孤独感はかなり軽減されてると思います。


父は仕事にいっている、母は買い物に行っている、クロは散歩に行っている、そう本気で思い込めるのなら孤独は存在しません。


ただ、永遠に戻らないという現実はなかなか消せません。