いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

ようやくゴミ集積所が移動

ここ5年ほど、ゴミ集積所は私の家の前でした。マナー違反をする人はほとんどいないのと、道路から少し入った所なのでカラスの被害もなく、私の自転車の出し入れに多少の支障がある程度なので殊更、目くじらを立てる事ではないのですが、やはりゴミの山が家の前にあるというのは気分のいいものではありません。


私の町内会では班ごとに集積所を決めていて、私の班では各家で持ち回りでした。明確な決まりを作っている訳てはなく、だいたい2、3年で交代だったのですが・・・


5年ほど前に私の家の斜向かいの家の前が集積所に変わってひと月もしないうちに「家を建て直すので完成するまで暫定的に集積所を変えてもらえないか?」という話が出て、お人好しの父が引き受けてしまいました。


その「暫定的」が5年にもなってました。


その原因として、斜向かいの家は建て直しというのは事実だったんですが、建て直した後に来たのはその家族ではなく、見も知らぬ別の家族でした。


要は家を売却しただけの話です。元々いた家族が建て直し後も継続して住むという話だったのですが・・・おまけに集積所があったスペースは車の駐車スペースになっていて、とてもゴミを置けるスペースではありません。


事情を知らないで引っ越して来た人に対して、クレームを入れる訳にもいかず、班の集まりの際にやんわりと「お願い」をしてきたのですがなかなか進展せず、最終的には今年の3月末まで私の家が班長だったので、その時まではという約束になったのですが、結局ずるずると今日に至ってました。


先日、父が病床を押して、今の班長に直談判、漸く変更になりました。かなり強く言ったようです。こういう事って近所付き合いもあるし難しいですね。


本来は行政の仕事なんだから行政が集積所を確保すべき事だと思います。自治体によってはコンテナや小屋のような物を作ったりと工夫している所もあるんですけど・・・

身体集中反復行動

「ホンマでっかTV」で俳優の野村修平さんが「爪噛み、いびき、歯ぎしり」が悩みだと言ってました。噛みすぎて血が出る事もあると・・・爪は全て噛み切るので自宅には爪切りがないそうです。


深爪の指を見せてましたが、私と同じ指をしていました。私の場合は指噛み(皮むしり)ですけど。子供の頃にはタコになっていた時期も。今でも時々出てしまいます。


脳科学の沢口先生は、「雑菌に免疫力が付くのでアレルギーなりにくい」と言いつつも、「これを『身体中心反復行動』と言い、爪噛みも歯ぎしりも不安と攻撃性の現れ。爪を噛む事などが不安を軽減したり、快感になったりする」ので治した方がいいと。


心理学の植木先生は「爪を噛む事の効用もある。いい事があるから噛んでいる。集中力を高めたり、次の一手を考えている時にやる事が多いので止めてしまうと創造性が失われる可能性がある」


不安と攻撃性は当たってますね。攻撃性は生来のものか、緘黙症の反動なのか分かりませんが。不安と言っても、潜在的な不安ですね。表面化した強い不安だと、爪(指)を噛む余裕すらありません。比較的落ち着いている時に出るようです。


身体中心反復行動に「症」が付くと強迫症の関連症状になるようです。ネット上では、爪を噛む=発達障害、親の愛情が少なかった、自傷行為などと短絡的に書いている人を見かけますが、少し違うように思います。

 

貧乏ゆすりに近いのではないでしょうか?そういう意味では、植木先生の説にも一理あります。


今回初めて「身体中心反復行動(症)」と言葉を聞きました。色々と調べているつもりでもまだまだ知らない事がたくさんありますね。


これからの研究課題です。まあ、専門家ではないので、自分の中でどう評価するか?という事だけです。

やるせない

先日、「筆談で事情聴取」というニュースがありました。それだけで何となく状況は理解出来ました。聾唖者なら聾唖者と書くでしょう。


母親の遺体を自宅に放置した疑いで49歳の男性が逮捕されました。病死らしく、母親の死に関しては事件性はないようです。


約40年間、引きこもりの状態で「他人とほとんど会話出来ず、取り調べは筆談で行われている」そうです。


母親の顔にはタオルが掛けてあったそうです。出来る事はそれくらいだったのでしょう。母の死を誰かに伝える事が出来ずに・・・


場面緘黙症だった私には身につまされる話です。実際に子供の頃からの緘黙症をそのまま大人になっても持ち越してしまい、引きこもっていたり、仕事に就けない人もたくさんいます。


「人と話すのが怖い」そう供述しているそうです。


この男性が場面緘黙症かどうか判りませんが、可能性は高いように思います。


学校も、行政も何もしてくれなかったんですね。或いは、母親が世間体を考えて行動に出なかったのかも知れませんが・・・年齢からするとそういう時代だったとも言えます。私も何の支援も受けてません。紙一重なんですね。他人事ではありません。


本人が一番苦しかったと思います。もちろん、母親も苦しかったでしょう。この男性を残してあの世に逝く事はどんなに心残りだったで事しょうか。


今回の記事に対してネット上では、コミ障だの、発達障害だの、知的障害だの、口さがない人たちが好き勝手に書いてます。ところが場面緘黙症はどこにも出てきません。どれたけ世間の認知が少ないのでしょう。


私が場面緘黙症になったのは、前回の東京オリンピックの年です。実に半世紀もの歳月が過ぎ去って行きました。


最近では、テレビで何回か取り上げられるようになり、療育や支援級などもありますが、未だに教師の無理解、無知で症状を悪化させるケースもあります。場面緘黙症を取り巻く環境はさして変わりありません。


経験者として無力感を禁じ得ません。