いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

父との別離

突然でした。


前回の記事を通勤中にアップし、職場に着くと、同僚が「携帯に着信入ってない?今、お姉さんからお父さん危篤の知らせが・・・」


携帯を確認すると姉からの着信が入ってました。電車内で気付かなかったようです。


すぐに折り返し電話すると、父の呼吸がおかしくなり、呼び掛けにも反応しなくなり、家族を呼んでくれと言われたと。着いたばかりの職場を後にし、病院に向かいました。


病院に着くと、父の意識はなく、酸素マスクをしながら荒い呼吸をしてました。暑いのか、シャツを捲りあげたり、お腹や胸を擦るような仕草をしていました。酸素マスクが鬱陶しいのか、時々外そうとしてました。


そして、呼吸と呼吸の間隔が段々と長くなり、やがて呼吸が止まりました。私が病院に着いて30分ほどでした。


とても穏やかな顔でした。今にも起き上がりそうな・・・


父には判っていたのかも知れません。


前日の涙と「見舞いは無理せずに来られる時でいいよ」が遠慮や思いやりと思ってましたが、「俺はもう逝くからもう見舞いに来なくても大丈夫だよ!」そう言いたかったのかも知れません。


父の手を握った事も今となれば、意識のあるうちのお別れの儀式だったような気がします。


判っていれば、前日もっと長くいればと後悔してます。


ここ一年ほどは父と濃い時間を過ごせたような気がします。


自力で立てない父を抱きかかえながら着替えをしたり、車イスでトイレや洗面所に連れて行ったり、粗相をしてしまった時の始末をした事もありました。


病気になって更に頑固になった父の言動に腹を立てた事もあります。決して綺麗事だけではありません。


そんな日々がとても懐かしく、だいぶ前の事のような感覚があると同時に病院に行ったら病室にまだ父がいるような感覚もあります。


今頃は、あの世で母とクロと再会している事でしょう。