いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

実感

父が亡くなり、早3週間、さすがにまだ病室にいるような感覚はなくなりましたが・・・


もともと父とは一緒に住んでいながらほとんど会話がありませんでした。仲違いをしていた訳ではなく、単に私の孤独癖のせいです。


いつの頃か、食事も別でした。いわゆる個食ですね。きっかけはよく覚えてます。父は掃除とか、整理整頓に無頓着で一緒に食事をしていた部屋がちらかっていたので自分の部屋で食べるようになりました。


そのうちに父の炊くご飯がだんだん柔らかくなり、私にとってはお粥のように感じられ、レンジでチンのパックライスに変えました。いちいち何をチンしてるかなんて確認しないですから、父は私がお米を全然食べないと勘違いして、姉に相談していたそうです。


その手の誤解はたくさんありました。父は私の事を何も知らずに逝きました。残念ながら「言葉」がないと伝わらないものです。


「言葉がない」=「場面緘黙症」そんな人生を歩んできた私の人生の宿命かも知れません。


そんな親子関係だからこそのメリットもあります。父のいない今の生活、父のいた時とほとんど変わりありません。仕事から帰って、自室に籠り、食事をしたり、テレビを見たり・・・


父が出掛けている状態とほとんど変わりありません。だから、密な親子関係にあった人よりも孤独感はかなり軽減されてると思います。


父は仕事にいっている、母は買い物に行っている、クロは散歩に行っている、そう本気で思い込めるのなら孤独は存在しません。


ただ、永遠に戻らないという現実はなかなか消せません。