いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

人生のタイミング

あの天使の歌声、スーザン・ボイルが世に出るきっかけとなったオーディション番組の動画を見ました。当時話題になり、既に見た方はたくさんいるのは思いますが・・・当時、私は全く興味がありませんでした。


スーザンがステージに出て来た瞬間、また変な奴が出て来た、みたいな雰囲気になりました。


年齢が47歳と聞くと更にざわつきました。「年齢は私の一面に過ぎないわ」と反論するかのように言いましたが、冷ややかな反応は変わりませんでした。


夢は?と聞かれ、「プロの歌手になるのが夢、エレイン・ペイジのような」と答えると嘲笑が起きました。


その夢がなぜ実現しなかったのか?の問いにはチャンスがなかったからと答えました。


そして歌い始めると一瞬にして、審査員も観客も目を見開き、拍手喝采。


スーザンの勝利の瞬間でした。


普通のおばさんという容姿とのギャップがスーザンの歌を際立たせたのかも知れません。


オーディションの前のインタビューでは緊張していると言っていましたが、大観衆の前で緊張している様子は全く見受けられませんでした。


バックヤードでオーディションを受ける人たちが映されましたが、いずれも緊張で強張った面持ちでした。しかし、スーザンだけはサンドイッチを頬張ってました。


歌った歌が「夢破れて」、勝手な想像ですけど、スーザンのこれまでの人生を歌ったもののようでした。歌詞の中の「the tigers come at night.」はこの夜のスーザンを予言していたかのようです。tigerには「喝采」の意味があります。


今までプロになれなかった理由をチャンスがなかったからと言っていましたが、受験資格すら与えられなかったような気がします。やはり、容姿や独特の雰囲気が受け入れられなかったのではないでしょうか?若い頃はとかく容姿が評価されがちです。


それらを意識させない年齢になった事でようやく光が当たったように思います。加齢はデメリットばかりではありません。歌声だけで勝負出来る年齢になったのでしょう。


ただ、それをキープし続けた努力や夢を諦めなかった事がこの日に繋がったのは間違いありません。


スーザンは後にアスペルガーである事をカミングアウトしてます。独特の雰囲気の理由が判りました。


スーザンはこの日、様々なものに勝利しました。

そんな時代もあった・・・

小、中学校の友人に「アンボー」というあだ名の子がいました。「あの~僕」と言ったのが「アンボー」に聞こえた事でこのあだ名が付きました。というより私が付けました。私はあだ名を付ける事が多くて、なぜか私が付けたあだ名が定着する事が多かったように記憶してます。


このアンボーと別のクラスのF君、そして私の3人は小学校の運動会の徒競走やリレーでは最強でした。


遅い方で。


3人の中では私が多少速かったのですが、クラス対抗リレーでは私がF君に抜かれ、「何だよ!Fなんかに抜かれやがって、お前のせいで負けたじゃないか!」と一部の同級生から非難されました。緘黙だった私は何も言い返せませんでした。


私のクラスは途中まで1位でしたが、私の前の子が2人に抜かれた事もあったので、負けたのは自分だけのせいじゃないと心の中で反論しましたけど。


この時はリーダー格の子が「仕方ないよ!」と非難した数人を制してくれました。緘黙の子はイジメられる事が多いのですが、私に恵まれてましたね。


このリレーには参加しなかったアンボーですが、勉強も苦手で成績はオール1でした。今で言うと学習障害(LD)だったかも知れません。


ただ、当時流行っていたウルトラQやウルトラマンに出て来る怪獣や虫などの名前は詳しかったし、麻雀も出来たので勉強の仕方が判らないとか、興味の持たせ方の問題だったのかも知れません。


このアンボーは中学卒業して就職し、私が大学2年くらいまでは私の家で麻雀などをやりに来ていたのですが、そのうちに来なくなり、交遊は自然消滅しました。私がその後引っ越した事もあり、小、中学時代の友達との交流はアンボーに限らず、今では全くありません。私の場合は物理的な距離=心理的距離になってしまいます。この辺りも緘黙気質なのでしょうか?なぜか、一度途切れた交流を積極的に取り戻すという事はありませんでした。


ところで、私が中学3年の時に放課後、同級生とふざけていて転倒、右腕を骨折した事がありました。私は放課後だし、学校は関係ないと思い、担任にも報告せずに帰宅、接骨院に行き骨折と判明して翌日腕を吊って学校に行きました。


すると担任はホームルームの時に連絡しなかった事を散々怒り、骨折した経緯を質問責めして来ました。緘黙が治っていてもスーパーシャイネスの私はクラス全員の視線を浴び口ごもってしまい、更に担任のイライラを増幅させてしまいました。近くで目撃していた同級生が状況を代弁してくれて、担任は何とか状況は理解したようでしたが・・・


自分の責任問題にならないか必死だったのが子供心に見えてしまいました。そこには私の怪我の状態を心配する様子は微塵も感じられず、自己保身しかありませんでした。だから質問と言うより詰問でした。


心配無用なんですけどね。うちの両親は学校にクレームなんか入れません。骨折も風邪を引いたくらいの扱いでしたから。


過去記事に書いたような気がするのですが・・・書いてないかな?この担任が原因で卒業アルバムを燃やしてしまった事があります。


重複してたら済みません。簡単に経緯を・・・


高校に通い始めてしばらくすると、担任から呼び出しがありました。行ってみると高校の担任に渡してくれと封書を渡されました。気になって仕方なかった私は開封してしまいました。


それは内申書みたいなもので成績の他に「学校行事に積極的に参加せず、協力もない」という所見が書かれてました。


そもそも事実ではないし、そのような指導を受けた事は1度もありませんでした。何か後ろからいきなり斬り付けられたような。悔しくて悔しくて堪らなかったです。


その後に卒業アルバムを見た時に怒りが込み上げ、担任が写っている事が許せなくて、焼いてしまいました。同級生も写っていたのに・・・バカな事をしました。


話が脱線してしまいました。アンボーの事を書きたかったのですが・・・話を戻します。


その骨折のせいで遠足(潮干狩り)に行けませんでした。参加するかどうか打診がありましが、断りました。危うく学校で自習になりそうでしたがセーフでした。


その日の夕方、アンボーがアサリを持って来てくれました。私より母が感激してしまい、これからも仲良くしてあげなさいと念を押されました。私たちのグループではそういう事はありませんでしたが、やはりオール1だとバカにしたり、からかったりする人もいました。母はそういう事を知っていたんですね。


このアサリの件を他の友人たちに何気なく話したのですが、異口同音に「俺も持っていくつもりだったんだけどあまり採れなくて」などと言い訳してました。


持って来なかった人を批判するつもりは全くありませんでした。私が逆の立場だったら考えも付かなかったと思います。アンボーが特別なんです。


アサリを採りながら頭の片隅に骨折してる私の事を思い浮かべてくれたなんてありがたい事です。


学校の成績で言ったらアンボーはダメ人間の烙印を押されると思います。でも、学業よりももっと大切なものをアンボーは持っていると思います。


一つの視点から判断してはいけないという事てすね。


アンボーの家は私の今の家から10km位の距離で今でも年に何回か家の前を通ります。ノックしようと思った事もありましたが、勇気が出ませんでした。しかも隣の家がリーダー格の子の家なんです。このリーダー格の子にも私が学校で喋らないにも拘わらず、よくしてもらったのですが、私の方で劣等感があり、顔を合わせる勇気がありません。会ったら同級生なのに敬語で話しそうです。


今はスクールカーストなんて嫌な言葉がありますが、当てはめたら私は最下層でしたね。相手がそう思っていなくても同級生に会ったら自己肯定感ゼロの時代に瞬時に戻りそうです。

終の棲家

父が私の事を案じて、知人に家の評価額などを調べさせていたのは知っていましたが、近所の人に「俺が死んだら、息子はマンションでも買ってこの家を出て行く」と話していた事や不動産屋に具体的に売却するかのような話までしていた事が判り、さすがに腹立たしく諌めました。


色々と考えているが、まだ何も決まっていない、一人になったら考える、自分の事は自分で決めると伝えました。


そもそも父が亡くなったからと言って、今の家を出る必然性はありません。姉が私の家の分も相続したいというなら売却も検討しなければならないでしょうけど。その時はその時に考えればいい事です。


自分の事は自分で決めます。


いつまで働かなければならないか、働けるか、健康上の問題もあり、今後どんな展開になるか神のみぞ知るです。なるようにしかなりません。


判っているのは、年齢的に「終の棲家(ついのすみか)」になるはずです。最後の家です。晩年は心穏やかに過ごしたいものです。


もう一度犬と暮らしたいという夢もあります。ただ、そうなると犬より先に死ねません。現実的には難しいですね。