いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

頑張るよ・・・

昨日、父の見舞いに行きました。顔が土気色で入院前より、かなり悪化しているようでした。何回も嘔吐したとか・・・


薬をなかなか持って来なかったりでイラついて看護婦と小さなバトルがあったそうです。


病院だからすぐに薬が処方されると思ったら大間違いですね。「薬は医師の処方箋がなければ出せない」んですね。鎮痛剤や胃薬といった重篤な副作用の可能性がほとんどないものでも出せません。


また、担当医制度のせいで、他の医師が処方箋を書く事はないようです。遠慮してかどうか分かりませんが。


父の場合は担当医が休日だったという馬鹿げた理由でした。以前飲んでよく効いた鎮痛剤を所望しただけなんですけどね。白い巨塔の里見助教授ような医師は実際の世の中にはいないようです。


私も蓄膿症の手術の際に午前中に頭が痛いと訴えたのに鎮痛剤が来たのは夕方でした。この時は見舞いに来た父に市販の鎮痛剤を買って来てもらい、既にに治ってました。これを教訓に2度目以降は鎮痛剤や胃薬は前もって用意するようになりました。


父は「だいぶ悪くなってるよ。駄目だな」と言いつつも「もう少し頑張るよ」と言いました。


おそらく・・・


昨日、病室に入るなり父は「入院した日は母さんの誕生日だよな?」と聞いてきました。


おそらく、母の命日、12月19日まで頑張るつもりなんだと思います。その思いは人智の及ぶ事ではありませんが、何とか叶えてあげたいものです。

最後の入院?

自宅療養していた父が昨日、再度入院しました。週2回の訪問看護と1回の往診を行なっていましたが、食欲がない上に固形物を食べるとすぐに嘔吐してしまう状態では致し方ないところです。昨日は亡くなった母の誕生日でした。母が呼んでいるのでしょうか?最後の入院かも知れません。


食べられなければ、健常者でも衰弱していきます。ところがなぜか、医師も看護士もその辺りには無頓着、鎮痛剤や制吐剤の処方だけ。時々点滴もやりますが・・・


人間は何もしなくても、一日に基礎代謝1200kcalを消費します。それ以下だと当然痩せていきます。父は恐らく一日に5、600kcalしか取れてないのではないでしょうか?


末期ガンだから、医師は百も承知で放置しているのでしょうか?確かに一日延命すれば、一日苦しみます。


私にも早く楽になって欲しいという気持ちと一日でも長く生きて欲しいという気持ちが共存しています。


「俺はもうダメだよ」何度もつぶやくように弱音を吐く父に私は聞かない振りしか出来ません。

無・・・

森田療法の本に治療事例として20歳の赤面恐怖症の患者が出て来るのですが、赤面恐怖症以外の症状として「精神刺激性、頭重、精神の朦朧感、多夢、注意散漫、記憶力減退、目には彩塵、残像のある事を苦しむ」とあります。


赤面恐怖に心のほとんどが奪われているのだから、注意力散漫や記憶力減退などは何の不思議もありませんが、「目には彩塵、残像のある事」が気になります。


森田博士が直接治療に当たった患者なのでかなり昔の事例です。当時は症状をそのまま記すしかなかったのだと思います。


「閃輝暗点」の事ではないでしょうか?


私がうつ病の身体症状として初めて経験し、その後も何回も出ている症状です。


「目の前で光がチカチカしているように見え、視野の一部が欠損し、円形のギザギザのようなものが現れるなどの視覚異常」です。通常は片頭痛の前駆症状として現れます。10~20分ほどで治ります。太陽をしばらく見た後に違うところに視線を移すと残像がチカチカして見にくくなるのに近いかも知れません。


大脳の視覚を司る視野中軸で一過性の血流不足が起こる為だとされてます。但し、狭い範囲の血流なので確認方法はないそうです。


今も昔も心が身体に与える影響は変わりないんですね。


ちなみに森田博士にとって一番難しかったのが、この赤面恐怖症で、神経症治療をやめようとすら思ったほどだそうです。


私自身にも赤面はありました。気にしなかったので赤面恐怖でも赤面恐怖症でもありませんでしたけど。些細な事を気にする私が周りの人に赤面を指摘されても気にしなかったのは不思議です。


緘黙の事に集中し過ぎていたので赤面は何も感じなかったのかも知れません。まさに般若心経の「無有恐怖(むうくふ)」です。「恐怖」だの「症」だのを付けると全て病気になってしまいます。「気にしない!」が真の治療法ですね。


「気にするもしないも無い」がその上を行くステージです。こうなれば、もはや治療法ですらありません。ただし、意識や意思、精神力でたどり着けるステージてはありません。もともと「何もない=病気でない」のですから、たどり着くも着かないもありません。


『人の意識が現実を想像するのであって、客観的な事物など存在しない』(ニールス・ボーア)


ボーアは、精神科医でも、心理学者でも、宗教家でも、脳科学者でもありません。


物理学者です。それだけに説得力があります。