いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

再入院

昨日、父が再入院しました。もう家に戻る事はなさそうです。


一昨日は、父からお粥と目玉焼きを作ってくれと言われ、作って持っていくとそれを半分にし、「これ、お前が食べてくれ。最後だから」と言いました。最後の晩餐のつもりだったようです。


生まれてから私は父と離れて暮らした事はありません。長い長い年月でした。そんな生活にも終焉が来たようです。

父の近況

前回、入院した記事を書きましたが、既に退院してます。入院前は顔が土気色で危ないかと思ったのですが・・・


退院後は日によって体調が悪い時もありますが、まあまあ順調でした。ただここ数日は手足のむくみが酷く、動きに多少の制約が出始めているようです。


むくみが薬でコントロール出来なくなると危ないようです。


買物を頼まれるのですが、店を指定したりして細かいので疲れます。しかもいつも置いてある訳でないのでよりによってない事があります。店員に聞くと在庫切れというのがここのところ続きました。


父としては「あるはず、探し方が悪い」という思い込みで、もどかしさを感じてしまうのでしょう。時々癇癪を起こします。


病気だから仕方ないのですが、勤務明けなどは寝不足(実質3時間睡眠)もあり、嫌になります。


私の場合は2日に1回面倒を見るだけで、しかも父は自分でトイレも行けますし、簡単な調理も可能なのでたかが知れてます。介護ではなく、介助ですね。


お陰さまで本格的な介護をしている人の気持ちが1%くらいは理解出来るようになりました。

母の命日

今日は母の命日です。


雪でも降りそうなとても寒い日でした。当時、原付バイクで通勤していた父ですが、なぜかその日はエンジンが全く掛からずに電車で行く事になりました。


虫の知らせだったのかも知れません。その日以降は何の問題もなく、エンジンは掛かったのですから。


その時間に病院に向かえば、死に目に会えたはずでした。


泊まりがけで病院に行っていた姉から、危篤だからすぐ来てくれと11時過ぎに電話がありました。病院は自宅から一時間半も掛かる所で当時は珍しい糖尿病外来のある病院でした。


現実感がなくて・・・夢を見ているようで・・・電車の中では、ぼうっとしていました。


病院に到着するとすぐにそのまま病室に行こうとして警備員に止められました。説明して無罪放免されて、エレベーターのドアが開くとちょうど姉が乗っていました。


「駄目だったから・・・」と一言。


涙を必死に堪えました。


もう40年も経ったんですね。母の年齢をだいぶ追い越してしまいました。