いつかきっと晴れる

うつ病、パニック障害との闘いと思い

転機

今日、私ともう一人の同僚が隊長に呼ばれ、人事異動の可能性を示唆されました。


そもそも人数が足りているところに一人新人が配属されて研修中です。一人立ちすれば、誰かが出るのは明らかな状況なので古い順から二人のどちらかという事になります。


隊長は判りきった嘘を言ってました。「まだどちらかが異動か、本社から言って来ないので・・・」


本社主導というより、今までの異動も隊長の意向に沿った形だったので知らないというのはあり得ません。


おそらく私だと思います。新人が来る前に何の脈絡もなく、「俺もカツクロもここは長いよなぁ」と言ってきたり、先日は「異動になったらどうする?」と直接的に振ってきたりしました。


新人の研修もあと2週間ほどです。はっきり言えばいいと思うのですが・・・


普段なら別に何とも思わず異動を受け入れたでしょうが、今はタイミングが最悪です。


父の死後、色々な手続きや相続の問題が山積している中、それどころではないというのが本音です。


慣れ親しんでいる今の現場だからこそ、ある程度の余裕を持って問題を一つ一つ解決していけてます。これに新しい現場で新しい人間関係があり、ゼロから仕事を覚えるのは私には至難の技です。


うちの会社は慢性的な人手不足なので異動に関しては弱腰で本人の意向を聞いてきたりします。


ただ、私が拒否をすれば、同僚が異動になり迷惑が掛かります。取り敢えず、今の現場は終了という事は了解をした上で熟慮の時間をもらうつもりです。


退職も視野に入れてます。父の死が転機なのかなと思います。人生という長いスパンから考えれば、父の死があって、異動があってではなく、父の死や異動が重なる転換期だと思います。


父の遺産が何億もあるなら働きません。とっくの昔に引きこもりかニートになっていたでしょうね。貧乏に感謝です。


まあ、なるようにしかなりませんからね。

失せ物見つかる

父の遺品整理はほぼ終了しました。整理の途中では色々な物が失くなりました。結果的には後々出てきたのですが、今使ったばかりの物が見当たらなくなる事が頻繁に続きました。


見当たらなくなって1週間後とかに見つかったものもあります。これを何回も繰り返したのが市が発行しているゴミ分別マニュアルの小冊子です。具体的に物別に検索出来るので重宝してました。無い時は止むを得ず、ネットで調べたりしました。


見つかる時は何回も探した所に普通に置いてあります。父が俺の物を勝手に捨てるなよとでも言ってるようでした。


昨日見つかったものもあります。霊園の使用許可証です。これがないと納骨が出来ません。ひと月近く行方不明になってました。これも何回も探した書類に紛れてました。


49日法要、納骨の件で霊園に電話した時には手元に置いていたのですが、その後消えました。


私に名義変更しなければならないので無くてもいいだろう程度に考えていたら再発行料3千円もかかると言われました。


再発行の書類をもらい、一昨日、手続きに行きましたが書類不備で出来ませんでした。私のミスではありません。戸籍謄本が必要な事を向こうが言わなかったからです。


言った言わないのトラブルになりがちなケースですが、必要書類の戸籍謄本の所にチェックがなく、指摘すると「失礼しました」の一言だけでした。カチンと来ましたが感情を抑え、49日の当日に手続きする事になりました。


結果的には3千円払わずに済んだのですが、父がようやく墓に入る気持ちになったのでしょうか・・・


ホント失せ物は探している時には出てこないものですね。

ようやく・・・

昨年、満足に出来なかったのは筋トレと読書。ある意味、今の私を形作っているものと言っても過言ではない二つです。


今年は1月5日時点で筋トレは4日間やり、幸先いいスタートを切れたのですが、父の事やら色々とあり、昨年同様になりつつありました。


先日、連続で休みを取れたので一念発起し、珍しく気合いを入れて筋トレをしました。結果、総量10トン達成しました。一昨年以来でしょうか?


分かりやすく言うと、100キロのバーベルを100回挙げると10トンです。どんな種目でも、何回に分けてやっても構いません。


もちろんそんな離れ業は出来ないので重さは押さえて、回数を稼ぐ事になります。ここがネックになります。10、20キロ程度で回数を稼いだら総量は増えますが、それでは総量でトレーニングの質を測るのは無意味になります。


だから体重以上の重量だけをカウントするようにしてます。どちらにしても、あくまでも目安に過ぎません。学生時代に読んだ本にウエイトリフティングの選手は一日に11トンのトレーニングをすると書いてあったので私は目安として来ました。


読書は自ずと精神医学、臨床心理学、闘病記などの本が多くなりますね。それが私自身が何者か?の探求になります。なぜ?の答えを求め続けています。


昨年から今年に掛けては小説しか読めなかった印象です。小説はサラッと緊張感なしに読めます。


今年は「死」に関する本を読もうと思ってます。少し前まで動いていた人が、昨日まで喋っていた人が動かなくなる、反応がなくなる、そんな光景を目の当たりにして、摩訶不思議な感じがしました。私にとっても「死」は近未来の、明日起こってもおかしくない宿命です。他人事じゃないんですね。死に際しては、従容と受け入れられる心持ちになりたいですね。